久保寺農園 Kubodera Farm

久保寺農園 Kubodera Farm 「人の力と少しの道具でできるシンプルな農業」をテーマにお野菜作りに?

神奈川県の西部、小田原市と二宮町に畑を持ち、「人の力と少しの道具でできるシンプルな農業」をテーマにお野菜作りに励んでいます。

年間50〜60種類のお野菜を育てており、季節毎の旬のお野菜を直接お客様にお届けしています。(詳細はWeb Pageにて)


http://www.kuboderafarm.com/

うちの畑のトマトがカラスに食べられまくっているのを見たらしい近所の農家が、​「これ使ってみなよ」​と、カラスよけのグッズを貸してくれました。​手渡されたのは、金属の枠にヒモがモジャモジャとついた、謎のオブジェクト。太陽の光を反射してキラキラ...
22/08/2026

うちの畑のトマトがカラスに食べられまくっているのを見たらしい近所の農家が、

​「これ使ってみなよ」

​と、カラスよけのグッズを貸してくれました。

​手渡されたのは、金属の枠にヒモがモジャモジャとついた、謎のオブジェクト。
太陽の光を反射してキラキラ光る不思議な道具です。その名も「カラスなぜ逃げる?」(笑)。

​私が「カラスに困ってるんです」と相談したわけでもありません。

​畑の様子を見て、「ああ、これは困ってるだろうな」と思って、わざわざ手を差し伸べてくれる。
​その気持ちがとても嬉しかったです。

​農村で暮らしていると、農産物を近所の人に盗まれたり、畑の草の管理や水の使い方をめぐって揉め事があったり、人との関わりの中で面倒なことが起こることも、たまにはあります。

​でも、振り返ってみると、今回のような温かいやり取りのほうが、圧倒的に多いような気がします。

​人に美味しい野菜を届けることができたと知れたとき、「ああ、農業は本当にいい仕事だな、嬉しい仕事だな」と心の底から思います。

しかし、それと同じくらい、こういった地域の人との何気ない、けれど温かいやり取りに触れた時にも、たまらなく幸せな気持ちになります。

​ちなみに、この「カラスなぜ逃げる?」が効くのか効かないのか。

​もう、そんなことはどっちでもいいです(笑)。

​これでカラスが来なくなればもちろん嬉しい。
それでも、またトマトを食べられていたとしても、今回のことはたぶん嬉しいままだと思いますからね。

​このような、結果や数字では測れない満足感を、ちゃんと大事にし続けられるような仕事がずっとできるといいなと思いました。

私は、数字や結果に振り回されることが多いからこそ、余計にそう思います。

数字には合わせる。でも、数字だけには合わせない。

言うのは簡単ですが、これがいつも本当に難しい。

でも、そういうせめぎ合いの中であれこれ考えることも、面白さの一つなんですけれど。

先日、妻と「SNSのタイムライン」の話になりました。私のタイムラインには、農業関連や、ランニング、登山といった投稿が中心です。……とはいえ、社会問題についての激しい怒りの主張や、イデオロギー全開の、ついつい眉間のシワが深くなるような投稿がド...
15/08/2026

先日、妻と「SNSのタイムライン」の話になりました。

私のタイムラインには、農業関連や、ランニング、登山といった投稿が中心です。

……とはいえ、社会問題についての激しい怒りの主張や、イデオロギー全開の、ついつい眉間のシワが深くなるような投稿がドドドと押し寄せてくることもあります。

極端な情報は避けているつもりですが、それでも見ているうちに、なんとなくタイムライン全体が重たくなってくることがあります。

また、時にそういうものに疲弊感を覚えることもあります。

ところが先日、妻のタイムラインを見て、あまりの自分との違いに驚きました。

「あっ、猫……? あ、また猫……? 今度は犬、美味しそうな食べ物、素敵な料理...」

見渡す限り、和む投稿の連続(笑)。

過激な扇動も、怒りのリポストもありません。

こんな平和なタイムラインを見ている人もいるんだな〜。と思いました。

てっきり私は、「多くの人のタイムラインも、基本的には自分と同じように疲弊材料が紛れ込んでいるのだろう」と勝手に思い込んでいました。

日々のニュースやキュレーションメディアを見ていても、そういうものの方が圧倒的に多いような気がするからです。

でも、考えてみれば当たり前の話です。

同じSNSを使っていても、何を見て、何に反応して、何を検索するかによって、表示されるものは全然違いますからね。

いつの間にか私は、自分のスマホの中にある「世の中」を見て、世の中全体の傾向を掴んでいた気になっていたようです。

もちろん、今の世の中に問題がないなんて言うつもりはありません。

厳しい現実と日々戦っている人たちがいるのは事実ですし、それを何とかしたいと声を上げている人たちもいます。

「みんなで猫を見ればハッピー間違いなし!」なんていう、超楽観的な話をしたいわけでもありません(笑)。

ただ、直接的な当事者でもない私が、アルゴリズムがせっせと運んでくる「怒り」や「不安」を四六時中浴び続けて、勝手に疲労困憊していても仕方がありません。

私がしかめっ面でスマホを睨んでいても、世界は1ミリも平和にならないでしょう。

何より、うちの畑の野菜たちに良くない(気がする)。

今回、妻のタイムラインを見せてもらって、私は、ちょっと外側を気にしすぎていたのかもしれないことに気が付きました。

あっちではこんなことが起きている。
こっちではこんなことを言っている。
世の中は今、こんな方向に向かっているらしい。

振り返ると、外のことばかり考えていたり、意味不明な予測ばかりしていたりします。

自分の目の前で実際に起こっていることに集中し、それを自分の仕事として捉えられるような人生に豊かさを感じていたつもりでしたが、逆方向に向っている部分も沢山ありそうなことに気が付かされ、自分をコントロールすることの難しさに面白味を感じています。

まぁ、きっとそういうのも好きなんでしょう。

自分の外側をキョロキョロすることも大切だと思いますが、集団の歯車の一部になることに意識を引っ張られすぎないように気を付けたいなと思いました。

とりあえず私も、もう少し猫の動画でも検索してみましょう。

重く傾いた私のアルゴリズムに、「アテンション」じゃなく「キュート」を学習させてやろうと思います(笑)

今回のことで、他者のタイムラインを覗かせてもらうのも学びが深そうだなと思いました。

でも、見せて〜って言ってもあまり見せてもらえないかな?(笑)

※キュウリ4番手。今年は灌水なしでいけているので楽チンです。毎年こうだと嬉しいのですが。

時々、お客さんから手書きのお手紙をいただく機会があります。便箋に綴られた文字を目にすると、その人そのものがそこに表れているような気がして、なんだかすごく温かい気持ちになります。なぜ手書きの文字には「気持ちが宿る」ように感じるのでしょうか。筆...
08/08/2026

時々、お客さんから手書きのお手紙をいただく機会があります。

便箋に綴られた文字を目にすると、その人そのものがそこに表れているような気がして、なんだかすごく温かい気持ちになります。

なぜ手書きの文字には「気持ちが宿る」ように感じるのでしょうか。

筆圧の強弱、文字の勢いやかすれなどの軌跡を見ることで、相手の「息遣い」や「身体性」を疑似体験しているから。

あるいは、人間には「そこにどれだけの労力がかけられたか」を感じ取ると、その対象に高い価値を感じる心理があるから。

調べてみると、いろいろな分析がされています。

先日、役所で手続きの書類を書いていて、その答えのヒントになるような、少し情けない体験をしました。

ペンを握って書き進めていると、手から腕にかけて、強い筋肉のこわばりを感じたのです。

文字を書かなさすぎて、字を書くのに必要な機能がかなり衰えている。そんな実感を覚えました。

私は普段から畑で、頑固な草を引いたり、植物の茎を傷つけないよう細かく誘引したりと、指先や手を使う機会は多い方だと思います。

それなのに、たかだか十数グラムのペンを握っただけで手がこわばり、スラスラと字が書けなくなっている。

思いのほかショックでした。

そこで、そもそも人間はどうやって文字を書いているのかを少し調べてみたところ、思っていた以上に複雑な作業であることに気付かされました。

書こうとする言葉を思い出し、文字の形を記憶から引き出す。

紙の位置や枠の大きさを目で確認しながら、今まさに書いている線の軌跡を追う。

ペン先から伝わる紙の摩擦や、指先にかかる圧力を感じ取る。

そして、それらの情報をもとに、指や手首をほんのわずかな力加減で動かし続ける。

言葉、記憶、視覚、触覚、運動。

そうした複数の機能が、ほとんど意識することなく連携して、文字が書かれている。

もはや、脳と身体のオーケストラです。

一文字を書くという、ごく当たり前の行為の中に、脳と身体のたくさんの機能が働いている。

そう考えると、誰かがわざわざペンを握り、時間を使って書いてくれた一枚の手紙が、以前より少しありがたく感じられます。

最初に考えた「息遣い」や「身体性」、そしてそこにかけられた労力。今回知った、文字を書くための複雑な脳と身体の働き。

そうした「ありがたい」と感じるポイントが一つ、また一つと重なっていくことで、私が手書きの文字から感じていた温かみが生まれているのかもしれないなと思いました。

また一つ、小さなことに喜べるポイントが増えました(笑)。嬉しい限りです。

今回のことをきっかけに、字を書くことは、脳だけではなく身体まで一緒に動かす、ちょっと特殊な運動なのだということを実感しました。

そしてどうやら私は、そんな運動をずいぶんサボっていたようです(笑)。

もうちょっと意識的に字を書こうと思いました。

※サツマイモ、葉を伸び伸び広げ始め、放置フェーズにはいりました。

サツマイモは、真夏もいつも元気で安心して見ていられます。

今年、畑ではじめてナスの接ぎ木苗を使ってみました。自根のナスを植えていた畝で、一部病気が多発したからです。主に半身萎凋病です。この畑ではもう何年もナス科の野菜を作っておらず、その間にはブロッコリーなど、半身萎凋病の対策として効果が期待される...
01/08/2026

今年、畑ではじめてナスの接ぎ木苗を使ってみました。

自根のナスを植えていた畝で、一部病気が多発したからです。主に半身萎凋病です。

この畑ではもう何年もナス科の野菜を作っておらず、その間にはブロッコリーなど、半身萎凋病の対策として効果が期待される作物も作付けしてきました。

「これだけ間を空けたのだから、もう大丈夫だろう。」

そう思って植えたのですが、残念ながら今年も半身萎凋病が出てしまいました。

そこで、枯れてしまった株を抜いたところへ接ぎ木苗を植えてみることにしました。

どうせ試すなら、病気が出た場所で試した方が一番効果が分かりやすいだろう。

計画して使ったというよりは、「じゃあ、この機会に試してみよう。」

そんな軽いノリでした。

そして、その結果は予想以上でした。

通常、自根のナスなら、一度病気が出た場所へ植え直しても、また同じように発病してしまうことが少なくありません。

これは私自身、何度も試してきましたが、一度もうまくいったことがありません。

ところが接ぎ木苗は、病原菌が残っているはずの土の中でも青々と葉を広げています。

病原菌の勢いが衰える高温期だからなのかもしれませんが、それを差し引いても、今までの経験と比較して「こんなに違うものなのか」と驚かされました。

これまで私は、有機農業という文脈の中で、接ぎ木苗にどこか「邪道」のようなイメージを持っていました。

人工的な技術だから嫌だった、というわけではありません。

「健康な土ができれば、接ぎ木は必要ないはず。」

そんな土に少しでも近づけていくことが、有機農業の面白さの一つなのだろう。

そんなふうに考えていました。

でも、この圧倒的な差を目の前にして、「なぜ今まで使ってみなかったのだろう」と素直に思ってしまいました(笑)。

そりゃー、こっちのが主流になるよね。

そう思わずにはいられませんでした。

接ぎ木がよく分からないという方もいると思うので、少しだけ説明します。

接ぎ木とは、病気に強い植物の根(台木)に、おいしい実をつける品種(穂木)をつなぎ合わせる技術です。

連作障害や土壌病害への対策として発展し、現在ではナスやスイカ、キュウリなど多くの野菜で利用されています。

また、接ぎ木は土壌消毒への依存を減らす技術としても重要な役割を担っていると言われています。

さらに、干ばつや塩害など厳しい環境でも栽培できるよう、環境に適した台木を利用する研究も進んでいます。

変化する環境に合わせて植物の力を引き出す、とても合理的な知恵です。

もちろん、接ぎ木も万能なわけではありません。

条件によっては食味に違いが出ることもあると言う人もいますし、先日も近所の農家さんが「毎年接ぎ木を使っているけれど、最近は少し病気が気になり始めた」と話していました。

接ぎ木は無敵の盾ではありません。

それでも今回のことで、植物を健やかに育て、長く畑を続けていくという意味では、少なくとも私の畑で接ぎ木を使わない理由はもうあまり見当たらないなと思いました。

課題の多い畑や作物に関しては、来年は最初から接ぎ木を導入してみます。

不確かなこだわり(笑)は、これからも変わらず追い続けようと思います。

でも、その途中で先人たちが積み重ねてきた知恵や技術を借りることは、決して妥協でも手抜きでもない。

今年のナスは、そんな当たり前のことを改めて教えてくれました。

※写真は全然関係ありませんが空芯菜です。

やっぱり真夏はこいつの存在感が際立ちます。
今年もシャキシャキうまいです。

「余った野菜は加工品にすれば?」豊作の話をすると、本当によくいただくご意見です。確かに、一見すると理にかなっているように思えます。最近では、小ロットからOEMで加工してくれる会社もありますし、共同で利用できる加工場なども増えてきました。です...
24/07/2026

「余った野菜は加工品にすれば?」
豊作の話をすると、本当によくいただくご意見です。

確かに、一見すると理にかなっているように思えます。

最近では、小ロットからOEMで加工してくれる会社もありますし、共同で利用できる加工場なども増えてきました。ですから、「加工する手段がない」という時代ではありません。

それでも、私のような80aほどの小さな農園では、余った野菜を加工品にして解決するという方法は、あまり現実的ではないと考えています。

理由は、食品加工という世界が、とても強く「規模の経済」が働く産業だからです。

加工会社が求めているのは、同じ規格の原料を安定して大量に確保できることです。形や大きさが揃っていれば機械も効率よく動き、品質も安定し、コストも販売価格も下げられます。
一方で、他品目栽培の小規模農家から出る余剰野菜は、その時々で種類も量もバラバラです。
今日はトマト、来週はナス、その次はピーマンというように、毎回条件が違います。

さらに、規格外品だから加工向きというわけでもありません。

形が揃わない野菜は、機械で処理できず手作業が増えることもあります。「余った野菜を有効活用したはずが、かえってコストが高くなる」という話も珍しくありません。

そして、加工品は「作る」こと以上に、「売る」ことが難しい世界でもあります。

私の印象では、加工品は「作る商売」ではなく、「売り続ける商売」です。
一度ヒット商品ができれば良いという話ではなく、毎年、毎月、安定して売れ続けて初めて事業として成り立ちます。

野菜を育てる技術とはまた別の能力が求められる世界なのだと感じています。

もちろん、農家ならではの加工品には大きな可能性があるとも思います。
ただ、それは「余ったから加工する」のではなく、最初から一つの事業として設計し、ブランドを育てていく覚悟があってこそ成り立つものだと思います。

規格外品を捨てるのはもったいない。
その気持ちは、私もよく分かります。

ただ、私自身は「規格外品をどう加工するか」を考えるよりも、「そもそも規格外品を減らすにはどうしたらいいか」を考える方が、小規模農家にとっては良い打ち手ではないかと思っています。

加工品づくりは、新しい事業を立ち上げることに近い仕事のように思います。
一方で、栽培技術を改善して秀品率や労働生産性を上げることは、今やっている農業を磨くことです。
限られた時間や労力をどちらに使うべきかと考えたとき、私は後者の方が早く成果につながるように思っています。
だから私は、余ってしまった野菜を無理に加工するよりも、堆肥化して畑に返した方がいいと考えます。(うちの場合の話)

小規模農家は、何でも自分でやることが強みだと語る人は身近にも多いですが、私はそうは思いません。
限られた資源を、自分が一番価値を生み出せる仕事に集中すること。
それが、うちのような小さな農園が長く続いていくための現実的な選択だと思っています。

※生分解性マルチの値段が随分上がったので、今年の 落花生は 通常マルチを使用し、先日、全部剥ぎ取りました。今更ですが、色々な意味でこっちの方が全然いいです。いつも気づくのおせー(笑)

今年の畑は、果菜がよく採れています。 本来なら喜ぶべきことなのですが、明らかに収穫が追いついていませんし、販売の出口も足りなくなってきているので、最近は、生産の余剰についてずっと考えていました。 近年は作業に余裕が出てきたこともあって、「も...
18/07/2026

今年の畑は、果菜がよく採れています。

本来なら喜ぶべきことなのですが、明らかに収穫が追いついていませんし、販売の出口も足りなくなってきているので、最近は、生産の余剰についてずっと考えていました。

近年は作業に余裕が出てきたこともあって、「もう少し作れるかも」と欲張ってしまった結果がこれです(笑)

露地の農産物栽培は工場ではありません。植え付けは何か月も前に決まり、その後の収穫量は気候によっても大きく変わります。今年は倍採れても、来年はもしかしたら半分かもしれない。自然には大きな振れ幅があります。

ただ、その自然の振れ幅とは別に、今回のことは、労力や出口を十分に考えずに作ってしまった自分の計画にも原因があります。

私は、100ケース売れる人が200ケース収穫するよりも、100ケース売れる人が110ケース収穫する方が、経営として優秀だと考えています。

収量、実作業時間、販売力、需給。そのバランスを見ながら、「どこまでなら無理なく届けられるか」を考え、それを見極める能力は、とても大切なように思っています。

うちのような少量多品目栽培で、お客さんに直接販売する小さな農家の場合はなおさらです。

割ける労力も資本も少ないですし、流通にも手がかかります。また、私の場合、生産余剰を受け止める余力もそれほど大きくありません。

無理なく販売できる量を見極め、その少し上を狙って生産する。 自然の振れ幅を受け入れながらも、出口まで含めて設計する。

今回のようなことに直面すると、その辺りの精度をもう少し高めたいという欲求が強くなります。

……とはいえ、私はそもそも、多種多様な野菜を少しずつ育て、その季節ならではの恵みを、お客さんへ直接届けることを選んでいます。

そんなやり方をしている時点で、安定性や定量化とは少し違う世界に立っています。 「生産体制の非合理を、どれだけ季節の恵みという豊かさで埋められるか」に、このまま振り続ける。

その中で作れるだけ作ってみて、あとは何とかする。 そんな心持ちで農業をしていた方が、私の性にあっていそうですし、面白いと思い続けられるような気もしています。

……と、ここまで散々「収量や出口の計画が大事だろう」と書いておきながら、最後に全部ひっくり返すような雑なことを言って終わろうと思います(笑)

結局、面白さには勝てません(笑)

※白ナス、今年も美味しいです。 ただ若干 半身萎凋に弱い気がします。 そんなことない?

先日、ふと立ち寄った家電量販店でのことです。お客さんの姿もまばらな静寂の中、ある展示品の前で足が止まりました。高圧洗浄機のお試しコーナーです。「実際の取り回し感」や「トリガーの重さ」など、質感を確かめようと、軽い気持ちでサンプルのスイッチを...
10/07/2026

先日、ふと立ち寄った家電量販店でのことです。お客さんの姿もまばらな静寂の中、ある展示品の前で足が止まりました。

高圧洗浄機のお試しコーナーです。

「実際の取り回し感」や「トリガーの重さ」など、質感を確かめようと、軽い気持ちでサンプルのスイッチを入れてみました。

「ギュイイイイイン!!」

けたたましい噴射音とともに、周囲の空気が一変した気がしました。

少し離れた場所で手持ち無沙汰にしていた数名の店員さんが、一斉にこちらを向き、近寄ってきたのです。

ジリジリと間合いを詰めてくるように見えるその空気感は、まるで獲物を狙うサバンナのハイエナのようです(笑)。

「しまった、やべえ!見つかった!」

心の中でそう叫びながら、そそくさとその場を離れました(笑)。

私は、知りたいことがあれば自分で聞きに行きたいタイプなので、店員さんから仕掛けてくる営業トークがあまり得意ではありません。

お客さんがほとんどいなくて、店員さんが接客したそうな空気で待っているお店には、なんとなく入りづらく感じてしまいます。

もちろん、買うものや目的が決まっている時は話は別ですが。

昔、私が接客業をしていた頃、上司やマニュアルからこんなことを教わりました。

「お客さんの中には、本当は聞きたいことがあるのに遠慮して聞けない人も多い。だからこちらから積極的に声をかけるべきだ。」

当時は「なるほど、そういうものか」と半ば無理やり納得していましたが、今思い返すと「そうとも限らねーだろ」と、一度も疑わずに従っていた自分もなかなか素直だったなと思います(笑)。

もちろん、声をかけてもらえて助かる人もたくさんいるでしょう。

一方で、私のように「必要になったら自分から聞くので、それまではそっとしておいてほしい」と思う人も多いような気がしています。

スマホ普及前は「店員さんは詳しい人、お客さんは知らない人」という情報の差が今より大きかったように思います。今と比べると、明確な情報の非対称性がありました。

しかし今は、家を出る前にネットでスペックを調べ、他社製品と比較し、口コミまで読んでからお店へ行く人も珍しくないように思います。

少なくとも私は、「情報を集めるため」というより、「最後に実物を触って答え合わせをするため」に店舗へ行くことが増えました。

だから、「聞きたいのに聞けない」というよりは、「ちょっと質問しただけで営業トークが始まったら面倒だな」と考えてしまうことがありますし、「スマホで調べた方が確実性が高い。」

そんな風に感じてしまうことも、正直多いです。

もちろん、接客することも大事な仕事だと思いますし、お店の方針や目標もあるはずです。

ですからこれは、接客そのものや、攻めの営業トークを批判したい話ではありません。

ただ、私の場合は、自分のペースで商品と向き合える時間があると、とても安心できます。

聞きたいことがあればこちらから声をかけますので、「何かありましたら、お気軽にお声がけくださいね。」くらいが丁度いい距離感なんですよね(笑)。

……と、ここまで好き勝手に持論を書いてきましたが、私が接客業を離れてからもう15年以上になります。

当時とは時代もずいぶん変わりました。

扱うものにもよると思いますが、実際のところ、今の小売業の現場ってどうなんでしょう?

「いやいや、そんな単純な話じゃないですよ」みたいな話があれば是非教えてください(笑)

それともう一つ。

野菜を人に直接販売する立場になった今、この話は自分にもそのまま返ってきます。

お客さんとの距離が近い仕事だからこそ、「伝えたい」という気持ちが強くなりすぎると、結果的に押しつけになってしまうこともあります。

その境界線は、本当に難しいなあといつも感じます。

相手が自分のペースで選べる余白を残すこと。

それは、先ほど書いた接客の話とも、どこか重なるような気がしています。

※カボチャ。ヘタの横ジワも入って、グランドマークもいい感じになってきましたから、そろそろ収穫をはじめようと思います。

数ヶ月前、「予定外に余ってしまった50株のトマト苗を、倒伏が始まった玉ねぎの畝に無理やり押し込んだ」という記事を書きました。記事を見返すと、セオリーを無視した雑な植え方を、「流れるような輪作」という後付けの言葉で正当化してやろうと意気込んで...
04/07/2026

数ヶ月前、「予定外に余ってしまった50株のトマト苗を、倒伏が始まった玉ねぎの畝に無理やり押し込んだ」という記事を書きました。

記事を見返すと、セオリーを無視した雑な植え方を、「流れるような輪作」という後付けの言葉で正当化してやろうと意気込んでいました(笑)

さて、数ヶ月が経ち、答え合わせの季節がやってきました。

結果、どうなったか。

結論から言うと、そのトマトは現在6段目まで実をつけ、順調に育っています。

もちろん、一番出来がいいのは、きちんと準備をして計画的に植えた畝です。

それでも、元肥も入れず、玉ねぎの残肥だけを頼りに育ったこの畝が、思っていたほど見劣りしているわけではありません。

定植の数週間前から準備し、養分バランスを整え、株間を揃え、真っ直ぐ植える。
そんなふうに計画的に作った畝が、必ずしも圧倒的な差をつけるわけではない。

農業の面白いところであり、少し残酷なところでもあります。

こういうことは、農業以外でも案外あります。

レコメンドエンジンの研究では、ユーザーの好みに合うものだけを出し続けるよりも、ほんの少しだけ好みから外れた「ノイズ」を混ぜた方が、長期的な満足度が高くなると言われています。

予定外の出会いが、新しい発見につながるからです。

今回うまくいったのも、そんな「予定外」がたまたま良い方向に転んだだけなのかもしれません。

土の構造や植物の生命力がうまく噛み合った、再現性の低いラッキーだったのでしょう。

ですので、あまり調子に乗らないように気をつけたいと思いますが、せっかくなので、立派に育ったトマトをかじりながら、しばらくは「俺の鋭い直感が生んだ奇跡の畝」という勘違いの喜びに、たっぷりと浸らせてもらおうと思います(笑)

おれ、全然わかってねー(笑)

うちの周りは水田が多いので、この季節になるとジャンボタニシの話がよく聞こえてきます。私たちが直面する社会課題や環境問題の中には、「もともとは人間が良かれと思ってやったこと」が引き金になっているケースが少なくありません。ジャンボタニシもその一...
27/06/2026

うちの周りは水田が多いので、この季節になるとジャンボタニシの話がよく聞こえてきます。

私たちが直面する社会課題や環境問題の中には、「もともとは人間が良かれと思ってやったこと」が引き金になっているケースが少なくありません。

ジャンボタニシもその一つです。

1981年、ジャンボタニシ(スクミリンゴガイ)は「日本の新しいエスカルゴになる」と期待され、食用にする新たなビジネスとして輸入されました。一攫千金を夢見て養殖業に参入する人も少なくありませんでしたが、日本では食文化として定着せず、ブームは数年で急速に陰りを見せたと言われています。

その後、養殖事業の失敗に伴う管理放棄や養殖場からの逸出などによって野外での定着が進み、水田を中心に深刻な農業被害をもたらすようになりました。

当時の制度は主に「海外から新たな生物を持ち込まないための仕組み」が中心で、すでに国内に広がり始めた外来生物への対応は十分に整備されていたとは言えなかったようです。

結果として、ジャンボタニシ問題は、人間の経済活動と生態系保全の間にある制度上の課題を浮き彫りにした事例の一つとなりました。

その後、日本ではアライグマやブラックバスをはじめとする様々な外来種問題が深刻化し、生態系全体を守るための包括的な制度として外来生物法が整備されることになります。

問題が起きては法が整備され、また新たな想定外が起きては別の制度が作られる。これは終わりのないイタチごっこのようにも見えますし、おそらく、それは今も今後も変わらないことでしょう。

話は少し変わって、写真は、先日訪れた歴博で見た農地開放のポスターです。

農地開放から現代までの流れを眺めていると、先ほどの話とどこか似た構造が見えてきます。

戦後の農地改革と、それに伴って整備された農地法は、小作農に土地を与え、自立した農家を育てるためのものでした。当時の社会にとっては大きな意義のある制度だったと思います。

しかし約80年が経過した現在、農業従事者の高齢化や担い手不足が進み、農地を集約して効率的な経営を行う必要性が高まっています。

その中で、かつて農家を守るために設計された制度の一部が、農地の集約や新たな農業経営を進める上で調整すべき課題として語られるようになっています。

解釈は無限にありますので、制度が間違っていたという話がしたい訳ではありません。

生態系の問題も、法律による構造的な硬直化も、根底にあるのは人間の予測能力の限界のように思うということです。

ある時点での「正解」が、数十年後の未来まで完璧に機能し続けることはほとんどありません。社会の前提条件そのものが変わり続けるからです。

特に現代は変化のスピードが速くなっています。

だからこそ、「一度決めたルールが永遠に正しい」と思い込まず、過去の成功体験を時折見直しながら、時代に合わせて仕組みを柔軟にアップデートしていく姿勢がますます重要になっているように思います。

日本の高度経済成長期、家庭に電気洗濯機が普及し始めた頃、古い世代から若い主婦に対して「洗濯機を使うのは手抜きだ」「愛情がこもっていない」といった批判があったと親世代から聞いたことがあります。

真偽のほどは分かりませんが、似たような価値観は今でもあるように思います。

これもまた、時代の変化に対する戸惑いの一つだったのだろうと思いながらも、その一方で、柔軟なアップデートを阻む感情的な思い込みを綺麗にぶった斬る能力の必要性を感じることもあります。

とはいえ、その大衆がアップデートだと思っていたものが、結果的に悲劇を生み出すこともあるでしょうから、考え出すとキリがありませんね(笑)

その時々で最善だと思う道を選び、考え続け、修正し続ける。自分が信じた道を力の限り歩み続けていくことを楽しみ尽くしたいものです。

先日、横浜関内のイタリアレストラン@ilparco_yokohama さん、のシェフとマネージャーが当園にいらっしゃいました。​畑をご案内しながら、お店づくりのこだわりを数々うかがいました。お二人は自らの足で全国の生産地を巡り、生産者と直接...
20/06/2026

先日、横浜関内のイタリアレストラン@ilparco_yokohama さん、のシェフとマネージャーが当園にいらっしゃいました。

​畑をご案内しながら、お店づくりのこだわりを数々うかがいました。

お二人は自らの足で全国の生産地を巡り、生産者と直接関わった上で食材を選んでいるそうです。

​美味しいものがコンビニエンスに手に入る時代、飲食店が「わざわざ足を運ぶ価値のある場所」であるためには、美味しい料理の提供だけでなく、空間の居心地の良さや、生産者やお客様との生きたコミュニケーションが不可欠だと言います。

生産地での記憶や、そこから生まれる会話の熱量が、チームやお客様と楽しく共有されている様子を話の中から想像することができました。

​今は、誰もが簡単に二次情報を集め、整理できる時代です。
しかし、だからこそ、自分の足で歩き、人と対話し、五感で感じ取った「一次情報」の価値が際立つようにも思います。

また、​「〇〇産」や「〇〇栽培」といった表面的で誰でも語れるような情報よりも、個人の体験に紐づいた温度感のある情報の方が、相対的に味のある深みを醸し出すこともあるように思います。

​これは、私の農業にも深く通じる話です。

​農業は素材そのものを提供する仕事ゆえに、価値の出し方が難しい側面もあります。

私のような小さなプレイヤーが、〇〇産や〇〇栽培といった分かりやすい記号的なものを語ったとしても、その効果はたかがしれていますし、その土俵にあがりたいとも思いません。

しかし、畑を歩きながら野菜の香りを確かめたり、その場で味わったり、土や風や光の具合を一緒に感じたり。そうした体験を共有できた時、その人は「〇〇産」などといった情報とは別の次元で、久保寺の野菜に特別な価値を感じてくださることが多いように思います。

そのような関係性の中で成り立つ農業に私も楽しみを感じているところがありますので、自らの足で手触りのある価値を追求するシェフの姿勢には大きな共感を覚えます。

批評家・小林秀雄が、「美しい『花』がある、『花』の美しさという様なものはない。」という言葉を残していますが、これは「頭で考えた概念」を退け、「五感で触れる実体」を重んじた彼の哲学の核心を表す言葉のように思います。

人の話をうかがっていて、現代は、様々な分野でそうしたものがより求められるようになっているのだろうと思うことが多いです。

一方で、「一次情報が大事だ」「五感で感じよう」「現場へ行こう」といった考え方そのものも、繰り返し語られるうちに一つの記号になっていくのかもしれません。

本来は概念から離れて実体に触れようという話だったはずなのに、「五感」や「体験」という言葉自体が新たな概念として流通し始めるのだとしたら、それはそれで面白い話だなと思います。

とはいえ、概念化や記号化によって多くの人に価値が伝わったり、物事が前に進んだりすることもまた事実です。

あまり「今こそ五感を!」みたいな話になりすぎるのも、それはそれで見失ってしまうものがあるのかもしれないな〜、などと、相変わらず面倒くさいことを考えています(笑)

短い時間ではありましたが、互いの大事にしていることを共有できた心地の良い時間でした。

ありがとうございました。

※IL PARCOさんには、今月からうちの野菜を使っていただくことになりました。農園共々、応援よろしくお願いします。

住所

Odawara-shi, Kanagawa

ウェブサイト

アラート

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